就活にまつわる話
いわゆる「就活デモ」にはじまって、「ギャップイヤー」とか「非シューカツ生たちのポータルサイト」とかのまとめが賑わってる。僕自身特にこれそのものに対してとくに賛成とか反対するのではないのだけれど、同じ世代に当たる人間としては共感するところもある。けれど、90年代後半を実際に眺めつつ過ごした人ならば同じようにして「フリーター」が持ち上げられたりしたのを連想するだろうし、あんまりいい印象を抱かないだろうとも思う。それらの人との間では、「多様性」とか「オルタナティブ」だとか言ってもけっきょくは「甘え」だろうという、いつもながらのお互いの語彙を交換しあって終わりになってしまうのではないだろうか。
僕はこれらの就活に対する動きに関してはとりあえず「機会の平等」を主張しているというふうに受け取るべきだと思うし、それ以外のものはある程度はバッサリと切ってしまっていいとも思う。就活にリクナビとかの企業が与えすぎた付加価値をを分配して、それ以外方法で何かしらのことをやっている人にもスポットを当てるべきだという、言い換えれば企業が産み出したもの(価値)に対して分け前を要求するというのは少しおかしな話ではないだろうか。
企業は産業としてそれらの価値を与えているのだから、オルタナティブな価値を就活に与えたいのであれば産業の枠組みでそれをやればいい。そうでなく公共の言論として主張したいのであれば新聞に投稿すればいい(ツイッターに投稿するよりはよっぽどこのほうがオルタナティブな方法だと僕は思う)。新聞がもはやそのように機能していないというなら新しい新聞社のようなものを作ってやればいいだろう。一企業に対する「恨み言」として言葉が交換されるべきではないというのなら、もっと言葉がちゃんと流通する枠組みを整えるべきだと僕は思う。
(補足するまでもないと思うけど、ポータルサイトなどは僕が平等という観点から見たうえではそれに当たらない。平等というのは他の立場の人にとってもそのメリットが理解できるのでなければ意味がない。一部の人が主張する平等という考えほど矛盾したものはないだろう。)